『In Order』 四章

第四章
真相は人によって異なる
故に真実は一つとは限らない


Scene1 Side:BMI 
あの事件から一ヶ月半が過ぎ、夏休みもそろそろ終わろうかという時期にさしかかっていた。
 結局あれ以来連続殺人は途絶え、小津井ちいが犯人と断定され事件は収束を迎えた。だが僕が裏で手を回したおかげで、小津井ちいが犯人であることは報道されなかった(そしてこのことはNには秘密である)。もっとも、その代償は払わなければならなかったが、これは追って話すとしよう。
 さて、世間では事件が収束したことになっているわけだが、実はそんなことはない。いや、実はなんて付ける必要もないか、あの推理ショーでは論理が甘すぎるところがあったのだから。
 だから今僕は、事件の真の解決に向けて、暑い部屋の中、試行錯誤しているわけである。いや、すでに試行錯誤は終わっており、後は行動するだけなのだが、一つだけ懸案事項が残っているといった方が適当だろう。
 それはNのことである。Nはあの事件に深く関わったのだから、当然真実を知る権利があるわけなのだけれど、今から見せる真実はかなり残酷だから。そう、小津井ちいの日記とは比べものにならないくらいだろう。そんな真実にNは耐えられるだろうか。
 結局、あれこれ考えた結果、Nは呼ばないことにした。まあ、Nには幸せに生きてもらうとしよう。トラウマになってもらっても困るし。
 ということで僕はある場所へと向かうことにした……。


 外は異常なまでに綺麗に晴れ渡っていた。もう秋に近いからか気温も涼しめである。つまりは、過ごしやすい、気持ちいい環境だった。
さて、僕が向かった場所は早峰さんのマンションだった。
 マンションの前は今や事件の痕跡はなく、血も拭き取られ、完全に日常に戻っている感じだった。
 マンションの玄関、中の下のマンションなため、自動ドアとかはなく誰でも入れるようになっていた。まあ、これが連続殺人鬼のアドバンテージなのだろう。高級マンションではセキュリティが整っており入るのは容易ではない。またボロアパートとかでは、忍び込むときの足音や、被害者が倒れたときに出る音が隣人に聞こえてしまい発見される危険性が高まる。だから中の下のマンションが狙われたわけだ。
 さて、早峰さんの部屋の前につくとドアをノックした。ちなみにドアホンを押さなかったのは単に無かったからだ。いくら中の下のマンションとはいえ、このご時世には珍しいことだな、と思いつつ、返事を待った。
 だが返事は無かった。どうしたものかと思ってドアノブをひねってみると、鍵が開いていた。これは僕に入れと言っているのかな? とりあえずはそう解釈して勝手に入らせてもらうことにした。
部屋の中は暗く、外光によってかろうじて見えている状態だった。そして部屋の奥にいたのが――、月見里悠奈だった……。



Scene2 :Side:BMI
 とかいったら読者からは怒りの声が上がるだろう。もちろんそれは嘘で、実際にそこにいたのは、そこの住人である早峰香だった。超然と慄然と必然に、そこに存在していた。
「あら、BMISさん、やっと来てくれたのね」
にっこり笑いながら早峰さんが言った。
「どうやら予想していたみたいですね」
「ええ、あの推理ショーは論理が甘すぎるところがあったから。小津井さんが電車の中であなた達の存在に気付いておきながら、最後の場面でNさんの声に驚くっていうのはさすがにどうかと思うけど」
「まあそこは嘘の推理ですからしかたがないんですよ、早峰さん。Nが気付かないように上手く事を運ぶのが大変でしたよ」
実際、冷や汗かいていたし。
「ですが、早峰さん、予想できていたのはそれだけの理由じゃないはずです」
「まあね」
「やっぱり、この事件は僕への挑戦ですか?」
そう聞くと早峰さんは頷いた。そう、これは僕が回答者であることを前提とした謎。だから僕がここに来るのはある意味必然だろう。
「いつから気付いていたのかしら?」
「最初から。あなたが我がクラブに依頼し始めたときからです」
「そんなに最初からなのか……。何か失敗していたかしら?」
「いえ、失敗は特にしていません。ですが、どう考えても僕がもう一日様子見するよう言ったときの反応は変だったので。自分の命がさらされているのに、そこまで自分の命が張れるものかなって思ってね」
「でも私、そのとき『BMISさんなりの考えがあってのことでしょう』ってフォローしたわよね? それは信じなかったの?」
「まあ、僕は人を信じない性分だから」
「なかなか、狡猾な理論ね」
くすりと笑いながら早峰さんはそう言った。
「まあね。でもその後の調べでその疑いに確信が持てたよ」
「ああ、あなたが猫かぶってクラスの人に話しかけていたあれね。でも、そこからどうやって確信がもてたのかしら?」
「それは、犯人故に露見してしまう事実ですよ。つまり時間のずれです。詳しく言わせてもらうと、五時半には学校に登校してしまっているあなたが、殺人の対象になるなんてありえないというとですよ」
そういうと早峰さんは沈黙した。ややあって返答が返ってきた。
「なるほどね、そこで失敗したわけか。それは迂闊だったかな……」
声は落胆した風だったが顔は不気味に、そして不敵に笑っている。
「でも聞くけど、五時半の時点ですでに登校してしまっている私がどうやって六時頃に殺人を犯せるのかしら?」
「そんなのは簡単です。あなたは毎朝陸上部の朝練で走っています。これを利用すればどこにでも行けるでしょう。蓋を開けてみればあっけない問題です」
「さすがね。それじゃあ、詳しい推理を聞かせてもらおうかしら」
「ええ、ですがその前に一つだけ教えてください。何故僕に挑戦しようと思ったのかを」
そう聞くと、早峰さんは不思議そうな顔をした。
「あれ、気付いてないの?」
そう聞くということは、何か僕に関係があるのだろうか? とりあえず、いろいろ考えてみたが、特に心当たりはなかった。もともと人と話さずにいたから、そんなに人との衝突はないはずなんだが。
「はあ……。ほんとにわかってないようね。それとも自覚がないのかしら?」
ひどいいわれようだな、と思ったが口に出さないでおく。
「まあ、いいいわ、教えてあげる。BMISさんって普段からつまらなそうな顔、そう、世界を見下しているかのようなそんな顔をしているでしょ。そう言うところが私と似てるなって思ったの。初めて見たときはそう思っただけなんだけど、見ているとあなたが頭の回転が速く、一般人の範囲を超えていることがわかったの。だからこの事件を解決するとしたらあなたしかないって思ったのよ」
なかなかめちゃくちゃな理由だな。そもそも普段はほとんど話さない僕からそこまで感じ取れている部分が異常だ。それに、決して僕とあなたは似ていないと思うが。まあ、言葉の選択の問題だな。
「もちろん、こんなのは曖昧な理由よ。でもなんていか直感したのよ」
直感。それは同じ。
「まあ、たかが感じ取っただけで、よくもまあ僕に挑戦できたものですね。と言いたいところですが、僕も先ほど同じような感じだったから、ここはおあいこで」
「ふふ、またまた卑劣な理論ね」
表現がひどくなっている気がしたが、まあ、言葉の選択の問題だろう……。
「それじゃあ、事件の真相について最初からお話ししますね」
一呼吸おいて、僕は推理を始めた。
「さて、早峰さんを疑い始めたのは先に述べたとおりです。その後僕は、しばらく早峰さんを注意深く観察することにしました。だから、早峰さんが自分の護衛に関して提案をしたとき、特に訂正しなかったんです。あくまで観察です。ボロを出すのを待つことにしました」
「なるほどね、あなたはあの時すでに私に真っ向から対立する気でいたわけか。まあ、私もあんな護衛方法が認められるなんて予想外ではあったけどね」
「しかしこっちで訂正しても、あなたなら上手く立ち回ることができるでしょう。少なくとも僕はその時そう思いました。これも特に訂正しなかった理由の一つです。もっとも、ここで訂正しなかったのが僕の最大のミスですが……」
「まあ、そうでしょうね。そして、私にとっての最大の功績」
「まあ、見解の相違ですね」
「戯れ言はいいから続きをお願い」
はい。
「おそらく、あなたが、あの夜実行したトリックはこうでしょう。あの時、確かに曲がり角を駆け抜けたのは、小津井ちいでしょう。そこまでは以前の推理通りです。ですが――
僕は一拍おいてから、こう言った。
「この後、実はあなた達二人は入れ替わっていたんです。そうでしょう、早峰さん」
早峰さんは僕の言葉をに驚きもせず、楽しげに聞いている。まるで他人事みたいに。
「つまり、前を歩いていたのが小津井ちい、クーラーボックスを持って後ろを歩いていたのが早峰さん、あなたです」
早峰さんはうんうん頷いて僕の話を聞いている。
「なるほどね。でも、どうして、小津井さんは私と入れ替わってくれたのかしら。何故協力したのかその動機が確かでないわよ」
「ええ。まあこれも想像でしかありませんが、一つの解答が導き出せます。小津井さんは電車の中でNの顔を見たとき、顔をこわばらせましたね」
早峰さんは頷いた。
「ええ、たぶんNさんは『犯人の小津井ちいが護衛者の自分たちに気付いたから』こわばらせた、と考えているでしょうね」
「多分そうでしょうね。ですがこれには違う解釈が存在するのです。おそらくこうではないかと思われます。早峰さん、確かにあなたは小津井さんに、自分が尾行されていることを話しました。ここまでは事実でしょう。ですが、その中身は全く持って違っていたはずです」
「と、言うと?」
「誰に尾行されているのか、その部分を偽って話したでしょう。つまり『僕とNに毎晩尾行されている』とね。そしてその後、助けて欲しいとも言ったはずです。そうすれば小津井さんはあなたの友達ですから早峰さんに協力してくれるはずです。あなたが犯人であるとも知らずにね」
早峰香は沈黙する。顔だけが笑っている。
「まさか、あなたが小津井さんを利用するとは予想外でした。これだけが今回の事件で心残りなことです。僕の技量の無さですね」
僕がそう言うと、早峰香は
「あなたは懺悔しに来たの? 推理をしに来たんでしょ」
なんか、怒られた。というか、犯人に怒られる義理はないのだが……。
僕は推理を続ける。
「この入れ替わりトリックのみそは、僕たち二人の認識と、小津井さんの認識の差を上手く利用したところにあります。小津井さんの頭の中では、前後関係がこうなっていたはずです。自分が一番前、次には早峰さんで後ろが尾行者である僕たちという風にね。また、僕たちの頭の中ではこうなっていました、一番前が早峰さん、二番目が尾行者、最後尾が僕たち。実際は早峰さんが尾行者の役割を果たしていたにもかかわらず。だから混乱を招いたんでしょうね」
「でも、あなたはその時すでに私が犯人であることに気付いていたんだから、小津井ちいを助けることができたんじゃないかしら?」
その言葉は僕の心にかなり響いた。
「ええ、正直あの時かなり焦っていました。まさかあそこで小津井さんが来るとは思わなかったので。そのおかげで入れ替わりトリックに気付くのに少し時間が掛かってしまいました。気付いたときにはすでにあなたが走り出していましたから……」
そう、もし僕があと少しでも早く気付いていれば小津井さんを助けることができただろう。昔に比べて僕の頭がなまっていることに気付いた瞬間だ。
しばらく僕がしゃべれないでいると、早峰さんが
「続きをお願い」と言って先を促した。
「そうですね……。もし僕の推理通りだと、わざわざ氷の音を出したのにもある一定の理由付けができます。もっとも、理由付けができるだけで真実かどうかは微妙ですが」
一呼吸おいて、続けた。
「その理由とは、『音を出すことで、小津井ちいに尾行されていることを知らせる』ということです。先ほど話したように、小津井さんはあなたと協力することを誓い、何らかの作戦を立てたはずです。あなたは小津井さんに対して『尾行されているときはいつも奇妙な音がしている』と言ったはずです。そして、それを小津井さんへの合図にした。見た限りでは、氷の音を尾行者の存在の合図にして、小津井さんが悟った後、彼女にマンションで待ち伏せするよう言っていたんでしょね、きっと。そして、尾行者がマンションにきたら早峰さんと一緒に襲い、返り討ちにする作戦だったんじゃないですか? 少なくとも小津井さんはそう思っていたずです」
「まあ、とりあえずはあっていることを認めてあげるわ。でも、いくらなんでもどこから音がしているかくらいわかるんじゃないかしら。つまり、小津井ちいも、一番後ろにいたあなた達からではなく、私のいる場所から音が出ていることはわかるはずよ。あなた達もその音が尾行者の足音であることがわかったでしょ?」
「ええ、ですが僕たちはあくまで前からの音を聞いていたんですから、どこから聞こえていたのかがわかったんですよ。人間の耳は前からの音には敏感で、だいたいどの辺から音が聞こえているのかわかりますが、後ろの音には鈍感なので、どの辺から音がしているのかはわかりません。ですから、小津井さんにはどの辺りから音がしているのかわからなかったはずです」
「なるほどね。じゃあ、ナイフに小津井ちいの指紋がべっとり付いていたことはどう説明するの?」
「その件に関しては簡単ですよ。ナイフを用意したのは早峰さんあなたでしょう。あなたは自分の指紋が付かないように、それを厳重に扱いながら、小津井さんに護身用として手渡したはずです。相手が襲ってきたときのためにね」
「そしてその後、マンションで待ち伏せしているときにナイフを返してもらい、小津井ちいの手首を切った、ということね」
何故か最後は早峰さんが自分で言った。
「まとめるとこうなります。小津井ちいは、僕たちが早峰さんを尾行していると勘違いして早峰さんに協力した。そして、あなたが角を曲がった時、小津井さんは素早く角を駆け抜け、早峰さんと前後の順番を入れ替わった。その後、しばらくして、氷の音を聞いた小津井さんは尾行者がいることを悟り、マンションの前で待機する。そして後は、あなたは小津井さんの所まで走りナイフを返してもらい、小津井さんの手首を切る。そして当然クーラーボックスは、小津井さんのそばに置いておきます。その後は、犯人に襲われているかのような演技をした。『わたしはずっと友達だと思ってたのに……』という台詞はこれですね。そして、僕たちが合流すると、さも間違えて殺してしまった、正当防衛で殺してしまった、そんな悲劇の被害者を装ったんですね。あと、小津井ちいの部屋から出てきた日記ですが、デジタルデータなので言うまでもありませんね。以上が僕の推理です。違いますか?」
そう言うと、やはりしばしばの沈黙があったが、ややあって不敵な笑い声がした。体の芯から凍えるような。
「そうよ。その推理は完璧。どこも、間違ってはいないわ。でも一つだけ、説明していない部分があるわ」
そう、それこそが問題、それこそが不可解、それこそが不自然。
「まあね。それは、『なぜ、今までの殺人の法則性を崩してまで小津井ちいを殺したのか』でしょう?」
早峰香は静かに頷く。
「ですが、それに関してはまったくもってわかりません。ですがある程度想像はつきます。だから僕があなたに聞くのは一つだけです。『僕は法則性を崩してまで挑戦するほど価値のある人間なんですか?』とね」
僕がそう言うと早峰さんはこう返した。
「ふふ、よっぽど自分に対して厳しい評価を持っているのね。でもその問に対する答えは一つよ。すなわち、イエス
「何故――」
「何故かって? まあ話すと長くなるんだけどね。あなたはいつから私が殺人鬼としての才能を発揮し始めたのか知っているかしら?」
僕は頷く。
「やっぱり知っていたのね……。あなたが過去の新聞を調べていたのを図書館で会ったときに見たから、まさかとは思ったけど」
普通、数週間前の新聞だったら過去の新聞なんて言わない。実際あの時僕が調べていたのは連続殺人事件に関する新聞ではなく、だいぶ前の、本当に過去の新聞だったのだ。もっともNは勘違いしたみたいだったが。まあ、「目新しい情報なし」って嘘ついた方も悪いが。
「これのことですね」
そう言って僕が取り出したのは十数年前の新聞。そこには「四歳の少女、両親殺害」の文字が書かれていた。そして、殺された両親の名前が――
「早峰徹、早峰詩織。私の両親よ。もしかして、あなたが確信に至ったのはこの資料があったからじゃないかしら?」
僕は首を横に振った。
「いいえ、確かにこれは一材料と成りえたでしょう。ですが、こんなもの無くても今回の事件に限って言えば解けますよ。これは、後付けにすぎません」
「そうかしらね?」
僕を見下すように早峰さんが言った。
「まあ、いいわ。この記事には私の名前は書いていないけど、内容から察して私がこの四歳の少女だってことがわかるでしょ? つまり、私はこのときから殺人に対しての才能があったのよ」
僕は沈黙する。黙るしかなかった。
早峰さんはさらに続ける。
「私がその時――、殺人を犯したとき、両親を殺したとき、どう思ったのか知りたい?」
僕は頷いた。
『なあ、BMIS,人殺すっちゅーことはどういうことなんやろな』
Nとの最初の会話が蘇る……。
「私はね、殺したとき、何にも思わなかったのよ。恐怖も、畏怖も、快楽も、狂気すら感じなかったわ。つまり、感情なんてないの。ただ自然と殺していたのね」
「どうして――」
僕は質問しかけたが、早峰さんが途中で遮る。
「『どうして両親を殺そうと思ったか』でしょ? それをあなたが聞くの? あなたなら理解できるはずよ」
「ああ、その問に関する答えはわかっているよ。『殺したかった。殺すこと自体が目的だった』でしょ。でも、あなたは勘違いしている。僕はあなたのことなんか微塵も理解できないね」
早峰さんは、また僕を見下したように言う
「自分を偽っているのね。それとも、また自覚がないのかしら。まあ、いいわ。その答えはイエスよ。つまり殺してみたかったのね。別に両親を恨んでいたり憎んでいたりしていたわけじゃない。むしろ、好きだったくらいよ。でもその気持ちより、殺してみたいという気持ちが勝った。単なる好奇心――、っていう表現はちょっと違うような気がするけど、まあそんなところね」
「そして、その後は――」
「その後は警察に連れて行かれて、わけのわからない建物に閉じこめられたわ。そこで正義だの愛だのつまらないことを学んだわ。もっとも、そこで大切なことも学んだのだけれども」
「猫をかぶれば楽に生きていけるってことですか?」
「そうよ」と早峰さんは言った。何事もなく、悪気もなく、自然にそう言った。
「猫をかぶれば誰も私を疑わない。私はもう反省したんだと、そこにいた人たちは思い違いをしてくれたわ。実際、両親を殺したことなんかなんとも思ってないし、もとより反省すべきことなんてないのにね」
そこでにやっと笑ってさらに続けた。
「そして、その建物から出ると私はT小学校って言う普通の公立高校に入れられたわ。そう、あなたはもう知っているでしょう、そこで小津井ちいと出会ったことを」
僕は頷く。これも情報収集したときに得た情報だ。
「その後も私は猫をかぶり続けたわ。みんなから『委員長タイプ』って呼ばれるくらいにね」
「そして『ヴィーナス』とも」
僕がそう付け加えると、早峰さんはにっこり笑った。その笑みは今までとは違い綺麗な笑みだった……。
「まあ、所詮は上っ面よ。私はその裏で殺しをしていたわけだしね」
「そんな折、気付いたのが僕の存在ってことですか?」
「ええ、そうよ。気付くにはあまりにも遅すぎたけど。あなたはあまりにも私に似ているわ。世界を見下しているような感じとか。上っ面を飾っているところとかね。そして両親もいないみたいだし。そう、あまりにも似すぎていたの。だから私は『この人は、私と同じように感情なんてなく、ただ殺すために殺人を犯せる人だ』って思ったわけ」
早峰さんは、そう言って僕を見つめた。そこには何の感情も感じられない。
「そして、同時に怖くもなったわね。この事件を解くとしたらあなたしかいないって。なんせ、犯人の行動を理解できるんだもの。下等な警察と違ってね」
何もかもが狂っていると思った。ここまで僕のことを誤解しているとは……。そして、ここまで自分の考えに自信を持てるとは……。
「だから、あなたに挑戦することにしたの。あなたに挑戦して、私が勝ったらあなたを殺して危険因子を除去する。私が負けたら、その時は法のもとでしっかりと死刑になるつもりだったのよ」
そう言ってあとは黙り込んだ。
だから、代わりに僕がしゃべる。
「でも、挑戦するにはあまりにもお粗末なトリックじゃありませんか?」
「ええ、わかっているわ」早峰さんは頷いた。
「私は殺人にかけては確かな才能があったわ。実際、最初の五回分は全くばれずにやってのけたしね。しかも、無駄に法則性を付ける余裕まであったわ。でもそんなのはあくまで殺人の才能であって、殺人方法の才能ではなかった。だからトリックなんて私の性に合ってないなかったわけよ」
「それ、僕の質問に対する答えになってないよ」
僕はそう聞いた。
「あなたってなかなか意地悪な性格なのね。ほんとはわかっているくせに」
僕は頷く。
「予想ですが、あなたはあえてお粗末なトリックを許容した。何故ならあまりにも似すぎている僕が、もしかしたら自分の協力者になってくれるかも知れないと思ったから。そして、自分の存在を認めてくれるかも知れないと思ったから、そうでしょう?」
「そうよ。私は、あなたなら私のことを理解してくれると思った。許容してくれると思った。同じ超越者として。そして今、実際に、警察には嘘の推理をして、私だけに真実の推理をしてくれているわ!」
そう言って、早峰さんは満面の笑みを浮かべた。
僕はそれに対して何の反応も示さない。いや、ただ首を振った。
とたんに早峰さんの顔が曇る。
「あなたは勘違いをしている」
「何を?」
「僕とあなたが似ているだって? 思い違いも甚だしい。確かにあなたが言うように僕は感情なんてそっちのけで、自分を保ったまま、殺人を目的として、殺人を犯せる。いや、むしろ、感情なんかで殺せる人間が理解できない。虫酸が走る、気持ち悪い。そう言う意味では確かにあなたは優秀です。感情なんていう下等な動機で人を殺していないんですから。でもね――」
でも――。
「あなたと僕では圧倒的に違う。あなたは自分で両親を殺した。僕は他人に両親を殺された。だから、あなたは殺人を肯定する。僕は否定する。あなたは偽りの世界を嘲笑する。僕は至らない自分を嘲笑する。そう、僕は殺人そのものが嫌いだ。そこがあなたと決定的に違う」
そこまで怒鳴って僕は一呼吸ついた。
「そんな――」
早峰さんの顔からはもはや生気は感じられない。
「よく『殺人を簡単に否定するな』とか言う意見を聞くけど、じゃあ、難解に殺人を肯定すればそれで良いのかな? それなら殺人を認めても良いのかな?」
違うだろ。
「僕は徹底的に殺人を憎む。そんな奴に幸せなんて与えない。名声すら与えない」
「じゃあどうして嘘の推理なんかしたの? まさか、Nさんのため、なんて言うんじゃないでしょうね」
早峰さんが聞いた。
「もちろん違う。今日Nをここに連れてくるか悩んだくらいだからね。あの時嘘の推理をしたのは、あなたの名を世に知らしめないため、有名にさせないため。あなたにいっさいの名声を与えないためです」
殺人を犯したものは世に知られることなく、苦しんだ方が良い。
誰にも助けられることなく、孤独に。
それこそが最大の罰だ。
「もちろんこのことに関しては警部には了解を取っています」
僕の言葉に早峰さんは驚く。
「あなたって、そんなに警察に顔が利く人だったの?」
そう、それこそが冒頭で述べた代償。僕は今回の件で早峰香に制裁を加えるために、警察に手を回さなければならなかった。そのために再び皮肉にも、懐かしの「探偵機関」へと舞い戻ることになったのだった。そうじゃないと、警察なんて動かせないから。
もちろん早峰香にはそんなこと教えられない。僕はただ頷いただけだった。
「あなたって残酷な人だったのね」
早峰さんがそう言った。
「私と同じ超越者だと思っていたのに。数少ない理解者だと思っていたのに……」
早峰さんの顔は怒りで満ちあふれていた。もっとも、そこに生気は感じられないが。
「あなたは知らないでしょうね。この世に超越者が多く存在することを。探偵が本当に存在することを。表では『国際探偵局』という普通の探偵組織が犯罪を取り締まり、また裏では誰にも知られることなく『探偵機関』という超越しすぎた探偵たちが集まる機関が活動している。その一方では、自らの探偵能力に溺れ、事件を迷宮入りさせ、自分に得になるよう根回しする『秘密結社“灯”』があれば、史上最強にして史上最悪の超越しすぎた犯罪者たちが集まる『犯罪組織』までもある。またそれらの組織には、主人格と従属人格とが入れ替わってしまった『二重人格探偵』もいれば、自らを『美食怪盗』と名のる奇妙奇天烈な変人もいる。世界はあまりにも広いんですよ」
そう僕は言ったが、早峰さんは首をかしげた。理解できないようである。
当然だ。
彼女が理解するには広すぎる。
彼女はそんな世界に比べたらちっぽけ名存在にすぎない。
そう、あなたでは、僕を「探偵機関」に戻らせる力しかない。
それだけ。あとは、しっかりと殺人を犯した罰を受けてください。
「さて、戯れ言やたわ言や譫言じみたことはもうこの辺でおしまいにしましょう」
そろそろ僕の精神も限界に近づいている。
「後はあなた自身が進む道を決めて下さい。ここから逃げようが、自首しようがあなたの勝手です」
「そして――、自殺しようが?」
早峰さんはそう聞いた。その問いに対して僕は正直に答えた。イエスと。
「ですが、そんなことをしたところで許されるなんて思わないでください。殺人は決して償えない罪なんですからね」
そう言ってやると、早峰さんは笑い出した。
大声で、空虚に、無感情に、ただただ笑った。
「それでは。もう会うこともないでしょう」
そう言って僕は部屋を出て行った……。
背後で、殺人鬼の笑い声がこだまする……。



Scene3 Side:BMI
さて、早峰さんの部屋を出てマンションの入り口に行くと、そこには意外な人物がいた。
月見里悠奈である。
僕によって、一秒一刹那の間犯人にされてしまった人。もしどこかで、何かが違っていたら、小津井さんの代わりに殺されていたかもしれない悲劇の人。
「あれ? BMISさんも早峰さんのお見舞いに来たんですか?」
「まあね」
とりあえず嘘をついた。
そういえば、今回の事件で一番かわいそうなのはこの人かもしれないな。なんせ友達を二人も失うことになったのだから。もっとも、一人失わせたのは僕だが。
「でもね、残念ながら早峰さんは留守だよ。鍵もしまっていたし、人がいる雰囲気は感じられなかったよ。たぶん今行っても無駄足だと思う」
またまた嘘をついた。月見里さんのために。
「そうか〜、それは残念」
よく見ると月見里さん、手になにやら袋を持っている。よく見るとわらび餅のようだ。
「あ、そのわらび餅――」
僕がそう聞くと、早峰さんはこう言った。
「ああ、これね。違うの。早峰さんのお見舞いに持ってきたんじゃないの。えっとね、これは……」
そう言って、しばらく照れた風をした。
あながち、彼氏にでも渡すのだろう。わらびもち好きの彼氏に。
僕はそう推測して、後は問い詰めないことにした。(もっとも、この推測は後に間違っていたということを身をもって知るのだが、それはまた別の話というやつである)。
「う〜んと、じゃあどうしようかな。早峰さんいないみたいだしな〜。まあ、仕方がないし帰るとしますか」
月見里さんは一人で悩み、自己完結させて
「それじゃあ、BMISさん、さようなら。教えてくれてありがとね」
といって帰ってしまった。満面の笑みで。まるで人を疑うことを知らないような。そんな少女だった。僕とは大違い。
きっとまともな親がいるんだろうな、と思いつつうらやましい気持ちが出てきた。(もっとも、この推測は後に間違っていたことは、以下略である)。


人を殺した彼女
人に殺された彼女
友達を失った彼女
殺人鬼に恋した彼
殺人鬼を弾劾した僕
でも、
月見里さんを見て
純粋な笑顔を見て
それが誤解だったとしても
世の中はそれでいて、きれいだと思った。