『In Order』 二章 後編

Scene3 Side:N
BMISと一緒に部室を後にした俺は、とりあえず校門の前で、早峰さんを待つことにした。
「N、わかってると思うけど、早峰さんにしゃべりかけたらだめだよ。あと目配せも禁止」
はあ、いちいちうるさい奴だ。
「わかっとるがな。友達にはばれへんようにやろ?」
BMISは頷いて、後は黙っていた。
十分くらい待っていると、ようやく早峰さんとその友達である月見里悠奈さんと小津井ちいさんが出てきた。みんな陸上部の練習の後なのか、髪の毛がやや汗で濡れている。三人とも体操服袋を持っていたが小津井ちいだけは小型のクーラーボックスも肩からかけている。おそらく中にはペットボトルが入っているのだろう。
当然のことながら俺たちの前を通り過ぎるときは、目配せをしなかった。
そしてある程度彼女らが離れてから、
「ほないこか」
と言って、作戦を開始した。


駅前で月見里悠奈さんと別れた早峰さんは、電車に乗った。当然俺たちは同じ車両に乗るわけにはいかず、隣の車両に乗ることになった。
「なんや、えらい混んどるな、今の時間帯は」
「そうだね、まあ退勤時間と重なっているから仕方がないよ」
「まったく、毎日こんな電車で登下校してるなんて早峰さんはすごいな……」
「まあ、登校はとても早いから、空いていると思うけどね」
俺たちはとりあえずこのような世間話をして、電車に乗っている間の短い時間を過ごした。
ある程度駅が過ぎるとだんだんと乗客も減っていった。ある程度減ったところで、隣にいる早峰さんと小津井さんが見えるようになった。一応、隣の車両が見やすくなったので、怪しい人がいないかチェックすることにした。が、俺が隣の車両をのぞき込んでいると、
「N、君の方が怪しいよ……」
と言ってきた奴がいた。もう言わずもがなだろう。他称「読心術者」だ。しかたなく、車両から目を背けようとしたとき、小津井ちいさんと顔が合ってしまった。しまった、と思ったが、向こうは顔をこわばらせて顔を背けてしまった。何で顔をこわばらせるんだよ……。そこは疑問に思うところだろ! とツッコミを入れたくなったが、あまりにも悲しくなったのでやめにした。
「なあ、BMIS……」
「何? もしかして『俺の顔ってそんなに変か?』とか聞くんじゃないだろうね」
…………。とりあえず無視することにした。大体、俺の口調をまねているところがなかなかいやらしい。どうやらBMISに話しかけた俺が悪かったようだ。
これを機会に、残りの乗車時間は、「BMISの性格の悪さに勝る奴がいるのか」という議題を考えることに専念し、奴には話しかけないことにした。


電車から降りると、とてつもない蒸し暑さを感じた。まあ夏なんだから仕方がないかも知れないが、それでも、例年に比べると暑い。とりあえず地球温暖化ははた迷惑な奴なんだな、とぼやいてみた。
今俺たちの遙か前方、といっても視覚できるくらいの距離に早峰さんと小津井さんがいる。何やら楽しそうに話している。もっとも、二人ともどこか表情に影があるように見える。早峰さんはともかくとして小津井さんの方まで陰があるように見えるのは、早峰さんの暗さが伝染したのだろうか。それとも、俺自身がこれからやることに対して不安を抱いているからだろうか。まあ恐らく後者だろうな、などと戯言めいたことを考えていると、とうとう駅の出口に早峰さんらがついた。
そして別れの挨拶らしきことをした後、小津井さんは西側、駅舎の中から見て右側へと去っていった。相変わらず、クーラーボックスが重そうである。
しばらくして、ようやく早峰さんが俺たちに手を振った。
「ようやく始まるのね……。一応もう一回、作戦の確認をさせてもらっても良いかしら?」
俺とBMISは首肯する。
「まず、あなた達は、私の後方、視覚できるぎりぎりの所で私を護衛してもらう。そして私が最初の角を曲がったら少しの間、その場で止まる。そして十秒したら、急いで、もちろん音を立てずに、曲がり角の所まで行って、再び視覚できるぎりぎりの距離を保って護衛してもらう。そしてもう一回角を曲がるんだけど、そこでもこれと全く同じ要領でお願いね。それと、あと――」
そこからは、早峰さんの顔がぐっと暗くなった。
「もしも、もしも私が尾行されたと感じたときは、このスイッチを押して知らせるから一気に距離を縮めてね。そして、その後私がマンションまで到着して中に入ったら、その尾行者をつかまえて、事情を聞き出して。そして、もしそれまでに私が襲われたら……」
そこで、早峰さんは口をつぐんだ。俺が助け船を出す。
「大丈夫です。その時は早峰さんが傷つく前に、その尾行者を追い払ってあげます!」
それを聞いた早峰さんは、こっちが卒倒してしまうほど、綺麗な笑顔を作ってくれた。
「ありがとう、Nさん。BMISさんもそれでいいですか?」
はあ、結局はBMISにいくのか……。
と、ここでふと疑問に思ったことを早峰さんに聞いてみた。
「早峰さん、少し聞きたいんですが……」
「なにかしら?」
「えっと、どうして視覚できるぎりぎりまで下がらなくちゃ行けないんでしょうか? 最初から早峰さんの近くで護衛していれば安全なんじゃないですか?」
それを俺が聞いたとき、なぜかBMISが焦った。
「ん? BMIS、どうかしたんかいな?」
「え? いや、なんでもないよ」
そう言ってBMISは顔を背けた。変な奴だ。
再び早峰さんの方を向くと、
「それはね、たとえ私の近くで護衛していても、もし犯人が襲ってきたら結局はみんなが危ないでしょ。私はできるだけ危害が及ぶ人は少ない方が良いと思っているの。だからあなた達には安全圏で見ておいて欲しい。そう考えたのよ」
なるほど、早峰さんはなんていい人なんだ。だが次の話を聞いて、その考えは少し訂正する必要があったようだ。
「あとね、もう一つ理由があるのよ」
「はい? それは何でしょうか?」
「できたら尾行者をこの手で捕まえたいの!」
その場は沈黙する……。
「え〜と、どういうことでしょうか?」
「いいかしら。もしあなた達が近くで護衛していたら、犯人に気付かれて、尾行してくれないかもしれないわ。確かにそれだとみんなは安全よ。でも同時にせっかくの連続殺人犯を捕まえるチャンスがなくなると言うことなのよ!」
この暑い夜の中、小さな声で騒ぐという奇妙な芸当を見せながら早峰さんが言った。早峰さんって意外と剛胆な女性なんだな……、と再認識いや、「改認識」させられた。
BMISの方を見ると、明らかに顔をこわばらせていた。早峰さんのイメージ崩壊といったところか? まさかね……。
「じゃあそろそろいこうかしら」
時刻は七時五十分。作戦開始だ。


前を行く早峰さん、――もっともぼんやりとした陰なので認識しにくいのだが――、に注意しながら俺はBMISに話しかけた。
「なあ、BMIS,なんかだんだん暗くなってきてないか?」
そう聞くとBMISはバカにしたように、
「そりゃそうでしょ。夕方から夜へ、そして深夜へと変わっていっているんだから。特に今は夏だよ。日の入り時間は六時を超えることもあるからね、今くらいがだんだんと暗くなる時間なんだよ」
と言った。
「そんなんわかっとるがな! 俺が言いたいのは――」
「わかってるよ。わかってるからもうちょっと声落とそうよ……」
……、こいつわざとやったんかいな。もはや反抗する気さえ起こらない俺が悲しい……。
「Nが言いたいのは、ほんとの意味でだんだん暗くなっているって事でしょ」
「そうや」
「まあしかたがないよ。ここは郊外だからね。光といえばさっきの、今かなり後ろにある駅から発せられる光しかないもんね。あとたまにある街灯。まあたまにしかないしほとんど意味ないんだけどね。つまり、駅から離れれば離れるほど暗くなるわけだ。おそらく角を曲がれば、さらに細い道にはいるからもっと暗くなると思うよ」
「じゃあ、それやったら……」
「もちろん近くでやった方が危険性は明らかに減るよ。でもせっかく早峰さんが立ててくれた計画だし、無駄にしたくないんだよ」
そう言うBMISからはいかなる表情も見いだせなかった。まあ、単に周りが暗いだけだが。
と、その時、早峰さんが角を左に曲がった。
俺たちはしばらくの間とまる。予定通り十秒ジャスト。
そしてこれまた予定通りに、俺たちは曲がろうとする。
だが、その時――。
にわかには信じがたかったが、今早峰さんが曲がった方向とは逆の方から、怪しい陰が横切った……。つまり、早峰さんの方に向かっている……。
数秒して、案の定、豆電球がついた。早峰さんの持つスイッチが押されたようだ。俺とBMISは顔を見合わせる。見るとBMISもかなり焦った顔をしている(ちなみにこのとき顔が見えたのは豆電球がついていたからだ)。
俺たちは目で合図して、作戦通りいくことにした。早峰さんの安全を確保するために……。


ということで、俺たちは謎の尾行者の後ろ、ぎりぎり気付かれない位の距離を保っている。もっとも、ぎりぎりの距離にいるからこちらからも相手の影がぼんやり見えるだけで、どんな顔をしているのかがわからないのが残念だ。だが、よく見ると太っているようにも見える。
そしてその前では、尾行者よりさらに見えにくいが、早峰さんが歩いていた。ほとんどあたりが真っ暗なため、早峰さんがどういう表情をしているのか、体をこわばらせているのか、などなど全くわからない。
と、その時BMISが急に話しかけてきた。
「ねえ、N、さっきから、正確に言うと僕らが曲がったときから、変な音がしない?」
俺はびっくりして、耳を澄ませてみた。すると確かに聞こえる。何か、重たい音、ザクッザクッ、という音が……。俺は怖かったものの、集中して音の出所がどこか探ってみた。すると――、
「どうやら前の方から、ちょうど尾行者のあたりから出とるようやな」
「うん、そして尾行者の歩調に合わせて聞こえているね。おそらく尾行者の足音だね」
それを聞いて俺はぞっとした。こんな足音の奴がいるのか? 常識的に考えて、こんな足音の奴はいない。でも、今実際に、俺の目の前に……。
「N、落ち着きなよ。僕たちは探偵部なんだからね。きっとこれも何かのトリックだよ」
ああ、そうか。それを聞いて俺はとりあえず安心した。といっても、早峰さんが生命の危機にさらされているんだから、そうそう安穏としてられないが。
「あ、早峰さんが角を曲がるよ」
それを聞いて、俺は早峰さんの方を見た。確かに前方の人影が右に曲がった。
「さて、ここでどうするかやな」
「とりあえず、相手の出方を見たほうが――」
と、BMISが言い終わらないうちに、なんと、尾行者が走って早峰さんが曲がったかどの方へ走り出した。そして、しばらくして早峰さんの悲鳴……。
BMIS! 早く行こう」
ついつい大声を出してしまった。が、もはや俺の頭の中は早峰さんのことしかなかった。
だから俺はNの答えも聞かずに走り出していた。
 が、ここで不幸なことが起きた。このときほど、神を憎んだことはない(、と言いきれるほどのことだ)。
なんと、俺は何かを踏んで転んでしまったのだ……。なさけない……。
「何やってるんだよ、まったく。先に行くよ」
転んだ俺を尻目に、BMISはそそくさと言ってしまった。取り残される俺……。なかなか哀愁を誘う瞬間だ。
BMISを追いかけようと思ったが、ここは俺も探偵部の意地を見せなければ。とりあえず転んだ原因となる物を探そうと辺りを見渡そう、何か事件解決に繋がるかも知れないからな。だが何も見えない。当然だ、光がないんだから。
と意味不明な自己完結会話をしてしまっている俺はとりあえず心を落ち着けることにした。
そして胸ポケットの中から、ペンライトを取り出す。そして少しの間、何に転んだのか調査した。が、何も見つからなかった。
「やっぱ早峰さんを追いかけた方が良かったかもしれへんな……」
とりあえず呟いてみた。だが何も起こらない。俺は自分にむしゃくしゃしてきた。
が、ここで、今まで俺たちがたどってきた方から赤いランプが近づいてきた。パトカーのようだ。
「警察? マジかいな……」
そう呟くと、なんと後ろから返答が返ってきた。
「マジだよ」
そう返してきたのは血まみれのBMISだった……。
頭がくらくらしてきた。とりあえず気絶しよう……。



Scene4 Side:BMI
Nを後ろに置いて僕は一目散に走った。
正直言ってかなり焦っている。まさかあのタイミングで彼女が道を横切るとは思わなかったからだ。これは予想外である。そしてこのままいくと……。
間違いなく殺人が起こるだろう。
これは明らかに僕のミスだ。早峰さんの計画に賛成し、一つも訂正しようとしなかったからだ。もしあのとき僕が「殺人犯を捕まえることだけを目的とする」としていなかったら、少なくとも今から起こるであろう最悪の事態には陥らなかっただろう。
その時、早峰さんの声が聞こえた。
「まさか、あなたが……。私はずっと友達だと思っていたのに……」
まずいな。もう、間に合わないかもしれない……。
それでも急いで角を曲がった僕は、走って早峰さんのマンションの前へ行く。
するとそこには……。
まさに予想外。
マンションの明かりに照らされて血まみれになっている早峰さんがいる……。だがしかし生きている。もっとも、顔色はかなり悪かったが。何が起こったのかわかってないって顔と、今目の前にあるものがわからないって顔が入り混じり合っている。
そして、その目の前にあるのが……。血まみれになった小津井ちいの体だった。こちらは死んでいる……。
久々に見た死体に狼狽しつつも、僕は深呼吸をし、心を落ち着けた。
「早峰さん、いったい何が……」
そう聞いたが、早峰さんは放心状態で何もしゃべらなかった。
しかたなく、小津井ちいの方を調べることにした。僕の体に血がまとわりつく。
観察してみると、手首の部分が切られている。そして、小型のナイフが近くに一本落ちていた。つまりリストカットされた、もしくはした、ということなのだろう。見た限りでは自殺なのかどうか判断しかねた。
持ち物は通学鞄、それに小型のクーラーボックス。当たり前だし、予想もしていたが、太っているように見えたのはこれらの荷物が原因か。
とりあえず、鞄は調べるのに時間が掛かるので、小型のクーラーボックスの方を調べることにした。見ると、蓋が開いている。その中にあったのは、五百ミリリットルのペットボトルが二本、中身が残ったままで入れてあった。あと四本は入りそうなスペースがある。ちなみに、中身のジュースはスポーツドリンクで、かなり冷えていた。
そうこう、小津井ちいのこと調べていると、マンションの中から人が出てきた。二人いる。片方は体ががっしりしている、もう一人はやせ気味というくらい。
「何があったんだ!」
がっしりとした体格の方が聞いてきた。僕はどう答えて良いかわからず、結局、小津井ちいの死体を指で示した。二人は沈黙する……。
「そんなことより、あなた達は、警察の方ですよね。もう連絡はしましたか?」
彼らは驚きつつも、首を縦に振った。やっぱりそうか。Nの話では警察の護衛は付かないということだったが、しらみつぶしに調べるのが警察の手法だと考えると、今日それぞれの家に警備がついているのは当たり前だろう。むしろ、ない方が不思議だ。さしずめNの父親はNを民間人扱いして教えなかったということだろうか。まあこちらも当然だが。
「そうですか……」
とりあえず僕はそう答え、この場は警察の方々に任せることにした。
さて、Nに会いに行くとしよう。
暗い道の中、Nを探し回ると、道の真ん中で落ち込んでいるNを見つけた。
そしてNのところに行くと、ちょうど、
「警察? マジかいな……」
と呟いたところだった。この後どんな独り言が飛び出すのか気にはなったものの、事の重大さを考え、呼びかけることにした。
「マジだよ」
そう返すと、Nはこっちを振り向き、そして僕の顔を見、体中に付いている小津井ちいの血を見、気絶した……。やっぱり呼びかけない方が良かったかな……。
時刻は八時十分。
漆黒の闇夜に、こだまするものはなかった……。