『消えたパン事件』前編

 私は小さい頃いっちょまえに飲食店の経営者を目指したことがある。パン屋さんとかケーキ屋さんとか幼いなりに一生懸命考えてたけど、やめた。その原因は、どう考えてもあれだ。進研ゼミ(何故か一発変換される)の教材の付録のビデオ。内容はほとんど覚えてないけど、どうやらパン屋さんというものはとんでもなく早起きでなければならない、というように理解したらしい私は、それから毎日早く起きようと頑張ったものの、結局挫折して飲食業界での成功をあきらめたのだった……。
 と唐突にこんなことを思い出したのは今私たちがいる店のふいんき(あえて変換しない)
のせいだろう。細い路地をいくつも抜けてやっとたどり着いたその店は、一見廃墟のようなビルの一階に、影のようにひっそりと潜んでいた。中は暗いし肌寒いし、それになんというか、霊気のようなものが漂っている。早起きどころか、健康的で規則正しい生活を想わせる要素は何一つない。私が食べ物屋さんに対して抱いていたイメージはこの瞬間粉々に打ち砕かれた。
 荻谷さん(孫)は何を思ったか
「こういう陰鬱なところには負の気がたまりやすいんです。怪盗もそういう負のオーラみたいなものにひきつけられるのかもしれないですね……」
まだ日本の夏気分を味わい足りないらしい。
「いや〜、こりゃ“怪盗”というより“怪人”だね。お化け屋敷みたいだ」
先生の言葉に思わずうなずく。


 「というか、“怪盗”ってどっから出て来たんじゃ〜」という人のために(あなたが超能力者でもない限りはそうだと思うけど)ここに至るまでの経緯を説明しておくと、ひょんなことから荻谷さんのお祖父さんと知り合った私たちは、お祖父さんに頼まれて怪盗の犯行を食い止めることになったのだった!月見里VS怪盗、勝負の行方や如何に!これでもわからないという人(あなたが超能力者であってもそうだと思うけど)は以下のミョ〜に説明的な会話でも読んで頑張ってください。


「しかしこんなホラーでテラーなところに、本当に怪盗が来るんですか?」
といぶかる月見里先生。その至極まっとうな疑問にお祖父さんが答える。
「もちろん、ここに予告状があります。読みますよ。『来る8月○日、レストラン“レ・ミゼラブル”にパンを一切れ頂きに参上します。銀食器には手をつけませんのでご安心を。あと念のため申し上げておきますが、どんな警備も無駄かと存じます。なにとぞ、警備はなさらない方向でお願いいたします。完』とまあこういうわけです」
「それだけですか。ならただのいたずらではないんですか」
先生でなくともそう思うだろう。美術品や宝石ならともかく、パン一切れのために予告状を出す怪盗なんて世界中どこを探してもいないと思うのが普通だ。しかしお祖父さんは首を振る。
「それだけではないんです」
「まさか、他にも?」
「スタッフクレジットが付いています」
だから、なんなんだ。
「読みますよ、『制作 ジェイ・ビーコーポレーション』」
「ジェイ・ビーってジャン・バルジャンじゃないでしょうね」
先生がちゃちゃを入れる。
「違いますよ。続きがある。『スーパーバイザー ジャン・ボードレール』」
「何だか、ますます愉快犯臭いですね」
「しかし、海外で同様の手口で何軒もの飲食店が被害を受けているんです」
お祖父さんの真剣さはどこまでも先生とかみ合わない。
「やつは『美食怪盗』を名乗り、目をつけた店に予告状を送り、客として料理を食べたあと、そこから煙のように消えてしまうという大胆かつ鮮やかな犯行で飲食業界から恐れられている……。しかしながら、怪盗仲間の間では食べ物のことばかりで意地汚いという評判が先行し、『怪盗の風上にも置けない暴食怪盗ジャン・ボードレール』略して『風上怪盗ジャンボ』の名で知られるようになったという恐ろしい怪盗……!」
確かに恐ろしい、怪盗仲間のネーミングセンス。
「なるほど、それは恐ろしい。そんな恐ろしい怪盗なら、我々の出る幕はありませんね。どのような警備も無駄だそうですし、あきらめましょう」
今日の先生は昨日までとは打って変わって超の付く常識人だ。意外な一面。


 以上、ミョ〜に説明的な会話終了。


と、ちょうどそのとき、この非日常系空間にさらなる非日常がやってきた。
三人の訪問者はそれぞれが強烈ないでたち。
先頭で入ってきたのは私よりちょっと若いくらいの女の子だけど、ミニ小林幸子みたいな羽付きの衣装を身にまとっている。ヨーロッパ風の顔立ちだけ見ればフランス人形みたいだけど、変な衣装のせいで安っぽいゲームのキャラクターのようになっている。
次に入ってきたのはギャグ漫画みたいな巨大なハンマーを持った少年。よくこれで堂々と公道を歩けたものだ。
最後に入ってきたのは剣道とかでつけるような面をつけた長身の人。その恰好でコンビニにでも入ったら、店員さんは百人が百人警察に通報すること請け合いだ。
その三人組があろうことか、こっちに向かって歩いてくる。狭い店内、そんなに急いでどこへ行く。先頭の少女が口を開く。
「国際探偵局の荻谷様ではありませんか。こぉんなところでお目にかかれるなんて、奇遇ですわね」
一応補足しておくと、これは荻谷さんのお祖父さんに言ったんであって、荻谷さん(孫)が話しかけられたわけではない。一方的に見とれてるけど。
「あらぁ、そこの方たちはあたくしたちのことをごぞぉんじないのねぇ。あたくしはアンジェリーナ・ド・モーニッシュ。後ろの二人は助さんと格さん」
「助です」
「格です」
どう考えても嘘です。
「荻谷様、さぁてはあの怪盗のことでいらしたのねぇ。心中お察ししますわぁ。でもぉ、ここはひとまずあたくしたちにまかせて、泥船に乗ったつもりでいらしてくださぁい。」
いちいち鼻について、突っ込む気をなくさせるしゃべり方だ。
「そぉれでは、御機嫌よう、みなさぁん」
結局一人で喋るだけ喋って向こう側の席に行ってしまった。それを見計らって、荻谷さん(大)が話し始めた。
「実は月見里さんに頼みたいのは、怪盗の犯行をさっきのやつらより先に止めることなんです。捕まえられなくともかまわない。ただ、あの三人と怪盗を会わせないで欲しい」
「それよりあの国際探偵局とかいってたのは?」
「あの女の妄想です。それよりなにより、頼みましたよ、月見里さん!」
妄想という言い訳はいくらなんでも不自然すぎるだろ……。
 とそのとき、このさびしいレストラン中に
じりりりりりりりり
爆音が鳴り響いた。全員の視線が店内を交錯する。まさか、怪盗……!
「何してるんですかっ!」
鋭い声に全員が注目する。さっきまで誰もいなかった厨房に、パジャマ姿で猟銃を抱えた女性が立っていた。
「出て行ってください!さもないと……!」
「あのお、私たちはここに食事に来たんですけど」
「へ?」
女の人は私たちを何か珍しい動物のように見ている。というか今まで店の人がいないと思ったら寝てたのかよ。
「申し訳ありません。5年前からずっとお客さんなんて見たこともなかったので、まさかこんな物好きな暇人が来るなんて思わなくて」
謝ってるんだか迷惑がってるんだか。
「えっと、じゃあご注文をお取りしましょうか?」
逆に他に何をするんですか。進研ゼミのビデオが私に植え付けた幻想が崩壊していく。
「じゃあ、これとこれとこれと……」
先生はどれだけ頼むんだというくらいやったらめったら注文している。
「えっと、賞味期限のほうはいかがなさいますか?」
「え?」
「切れてるのと切れてないのと」
「あ……じゃあ切れてないほうで」
女の人は申し訳なさそうに
「申し訳ございません。切れてないほうは切らしてるんです」
「はぁ……」
私の心の中で進研ゼミの赤いウサギが悲しく微笑んでいる。そんなこともあるよ。
「賞味期限が過ぎてないのはないんですか」
「そうですね……パンとか?」
「とか?」
「パンです」
パンしかないのかこの店は。
「じゃあパンでいいです」
「何年物にいたしましょう?」
パンに何年物なんてあるのか?
「66年から寝かしているのが66年物、78年からのが78年物です」
「もっと最近のはないんですか?」
「そうですね、5年前から寝かしてるのがありますけど」
5年前に何があったんだ?
「じゃあ、それで」
私は進研ゼミの教えてくれなかった世界を垣間見た気がした。
 女の人は向こうのテーブルに移り、あの奇天烈三人組の注文を取っている。たぶん向こうでも同じようなやり取りが行われているのだろう。
 月見里先生は今の会話で毒気を抜かれてしまったのか、これ以上荻谷さん(大)を問い詰める気もなくなったらしい。私も何とか探偵局のことが気にならなくはないけど、先生が何も言わないので私も何も言えない。中途半端な気分のままパンを待っていると、
「失礼する」
店に入ってきたのはくたびれてはいるけど趣味のいい服装の、恰幅のいい中年男性だった。あの三人に比べれば街を歩くのにははるかに適した服装だけど、それだけにこんな薄暗い店に来るのは不釣り合いに思える。
 その紳士は三人組の注文を取っている女の人(でも一緒に席に座って、談笑している姿はとても店の人には見えない。あの三人と気が合うなんてかなり変わった人なのかもしれない)のほうへまっすぐ歩いて行くと、よく通る声で言った。
「パンを一切れ頂きたい」





 後書き
 もうすぐ最終回です。完全前後篇です。話広げすぎです。収拾がつかないのは目に見えている?でも気にしない。Don’t worry心配ない。
 遊人夏バテならぬ夏ボケで今回はさすがに羽目を外しすぎ。しかしながらさりながら、そろそろ外した羽目を羽目直す時間のようで、後書きは真面目にいきたいと思います。
 この夏休み、図書委員会ブログは遊人の妄想空間(事実上の開店休業)だったわけですが、かといって図書委員が全員遊んでいたわけではありません。詳しくは新学期(厳密には2学期制なので新学期ではありませんが)が始まってからの更新を見ていただきたいのですが、去年同様、今年も文化祭展示に向けての順備が着々と進んでいます。そのはずです。というわけで、遊人が遊んでいるからと言って図書委員会自体が遊んでいるというわけではないということを遅ればせながらここに宣言します。
 今回は今までのに比べてかなりボリュームアップということで、夏休み中のつなぎという立場をわきまえず暴走している感も強いですが、そこのところは許してください。あと、前回から読んでいただいている人はお気づきでしょうが、前回の答えは今回出ていません。次回、乞うご期待。
 ……どうでしたか。真面目でしたでしょうか。そうでもなかった?それは残念。では、1週間後再びお会いしましょう。