『消えた薬品事件』

 ここは洛星大学南棟4階、月見里准教授の部屋の前。いつも先生は他人を部屋に入れないのが、きっと部屋の主(=先生)の深い考えがあってのこと、だと思う。


「……というわけで、この子が『消えた薬品事件』の容疑者、徳江さん。先生にはこの子の無実を証明してほしいの」
 そう私が言うと、先生は
「無実を証明するって言われてもなあ」
と言いながら、私と徳江さんを交互に見て顔を曇らせた。
 文系科目を教える先生にとって、理系の城である北棟での事件はあまり触れたくないのかもしれない。
「先生しか頼れる人はいないんです」
 徳江さんの今にも泣きそうな顔を見て、先生もさすがに観念(?)したのか、
「じゃあ北棟までいこうか。話せば分かってくれるかもしれないし。戸賀君もついてきてくれるかい」
と言った。


 道をはさんで北側にある北棟は、文系の南棟よりなんだかひんやりしている(北だし)。
私たちが北棟に行くと、二人の人物が待っていた。一人は、事件のあった倉庫の管理者の矢黒教授は私の3,4倍くらい年をとったおじいさん教授。そして、その隣に立っている茶髪の大学生が目撃者の津辻さんだ。
「月見里教授ですな。先生の研究成果はかねがね聞いておるよ」
「それはそれは。どうもありがとうございます。それよりさっそく本題に入りましょう」
「まあまあそう急かすな。立ち話もなんじゃし、ここはひとつわしの部屋で話さんかね」
「それはいい考えですね。ところで、教授はわらびもちはお好きですか?」
「はぁ?」
「いえ、ちょうどおやつの時間でしょう」


 部屋は月見里先生のよりはるかに広くて隅々まで整頓されていた。窓の分厚いカーテンを背にして津辻さんは話し始めた。
「事件の日は南棟の3階で人を待っていました。途中でふと窓の外を見ると、例の倉庫の窓に徳江さんの姿がはっきり見えました。確か4時頃だったと思います」
「ひょっひょまっふぇ」
 先生が口にわらびもちを入れたまま話をさえぎった。
 急いで飲み込んでから、
「その証言は徳江君の話と完全に食い違っています。徳江君、お話しして」
「その日はずっと図書館で一人でレポートを書いていました。その日のうちに月見里先生に提出しました。倉庫どころか北棟にも一度も入っていません。もちろん薬品も盗んでいません。みまちがいじゃないかしら」
「みまちがいのはずはない! 両目とも裸眼で2.0ある。倉庫のガラス窓を通して確かに見えたんだ!」
ふ〜ん、視力って一番いいのが1.0だと思ってた。
それにしても、どっちが嘘をついているんだろう。でも津辻さんには嘘をつく理由はなさそうだし、4時ならまだ明るいからみまちがいも起こりにくいだろうし……。やっぱり徳江さんが真犯人なんだろうか。
「とりあえず倉庫に行ってみませんか。何かわかるかもしれませんし」
 結局一人でわらびもちを全部食べてしまった先生が提案した。
「でも、私たちが勝手に事件の現場に入ってもいいんですか?」
 私が疑問を投げかけたけど矢黒教授の
「責任者の許可があるんじゃから問題はあるまい」
という言葉で一応解決した。(こんな人が責任者でいいのだろうか?)
 

 北棟の西端にあるその倉庫は、事件の混乱の名残とカーテンのない窓から差し込む西日が作る影で異様な雰囲気を醸し出していた。窓の外を見ると南棟が黒い影のように立ちはだかっていた。
「津辻さんがいたのはどこなんですか?」
「あそこ。3階の西のはしから3番目」
 なるほど、この倉庫の窓も見える位置だ。
「西日があったからはっきりと顔まで見えたよ」
 その後、しばらく倉庫を調べたが何も見つからなかった。


「ごめんね、徳江さん。結局何も分からなかったけど」
「いいんです。わざわざ先生にまで手伝っていただいて、いくらお礼をいっても足りないくらいです」
 そういう徳江さんの顔は落胆と夕日でできた陰影のせいで別人のようにみえる。
「お礼を言うのはまだ早いよ、徳江君」
「先生?」
「南棟へ戻ろう。津辻君のいた部屋に行ってみよう」
「それじゃあ、また何か分かったらわしにも連絡をくれ」
「その必要はありませんよ教授。津辻君も今すぐ一緒に来てください」


 南棟三階の部屋は今は使われていないらしく、誰でも申請すれば鍵を借りられた。4時を指した時計と数組の机椅子があるだけの部屋で、北側にカーテンのかかった窓が一つだけ取り付けられていた。
「さて、戸賀君、カーテンを開けてもらえるかな」
 言われたとおりに窓を開けると、向こうには北棟の姿が見えた。でも、
「光が反射して4階の端の窓の向こうが見えません」
「なんじゃと!」
「津辻君の言ったようなことは起こりえないんだ。この部屋から、この時刻に、倉庫の中は見えないんだよ。そして、本当にこの部屋にいたのなら、そのことに気付かないはずがないんだ」
 津辻さんの顔色が変わる。
「君は徳江君が図書館にこもってレポートを書くことを知って、それを利用したんだ。徳江君には倉庫に入らなかったことを証明する手段がない。ただの目撃者の立場でいる君自身は証言の真偽を疑われることはあっても倉庫の中にいたとは思われない。そうやって時間を稼いで盗んだ薬品を悪用しようとした」
 津辻さんの顔色がますます変わる。でも津辻さんの顔色が変わっているのは真実を言い当てられたせいだけなのかな。
 と、そのとき急に津辻さんが倒れた。
「津辻さん!?」
 私はそう叫んだけど、津辻さんはぐったりしたまま動かない。
「徳江君、救急車を!」
 矢黒教授が叫んだ。そして、徳江さんが部屋から出て行く。
「先生、これってもしかして……」
「ああ、自殺だ……」

 
 その後、津辻さんは救急車に運ばれたが結局は助からなかった――。




おまけ
「徳江君。今日は大変だったね。じゃあ、気をつけて」
「本当に、お世話になりました」
 私と先生と矢黒教授は洛星大学の前で徳江さんを見送った。
「戸賀君もそろそろ帰らないと」
「えっ、でも」
「いいから」
 なんか納得いかない。
「じゃっ、気をつけて。明日は僕が昼ごはんを奢ってあげるから」
 ここまで言われたら仕方ない。
「はーい」
 そう言って、私はおとなしく帰路に就いた。


「さて、矢黒教授。Last but not least(最後に重要なことを述べますが)、津辻君は確かに倉庫に入った実行犯でしょう。しかし、彼一人ではできなかった。倉庫の鍵はあなたが持っていたんです」
「しかし、最近は錠前を開けることなんて簡単じゃろう」
「彼一人では徳江君が図書館でレポートを書くということを知ることはできない」
「わしだってそうじゃよ」
「そもそも彼と徳江君の接点が不明だった」
「若いもん同士好き合うことも考えられんか。ふられた腹いせに徳江君を陥れようとしたのかもしれん」
「徳江君がそれを私たちに言わない理由がありません」
「誰もそういうことは人に言いたがらないものじゃろ」
「僕はあなたを疑っている。あなたと徳江君が」
「馬鹿馬鹿しい」
「好き合っていた。それを隠していた」
「事件とは無関係だ」
「津辻君が薬品を盗んだ後、あなたも薬品を盗んだ。犯人は一人ではなかった。あなたは津辻君に不完全な偽装方法を教え、自分でその犯行を暴露し、自殺に見せかけて殺そうとしていた。図らずも僕が協力してしまったわけだ」
沈黙……。
「なかなかの名推理じゃの。だが完璧ではない。ふられた腹いせというのは半分本当じゃ。ふられたが、腹いせする前にとめた。徳江君は津辻のせいで苦しめられていた。わしは津辻に近づき、薬品と引き換えに徳江君を陥れることを提案した。わしは倉庫に入ってもおらん。津辻はわしに薬品を渡した。自分を死に至らしめることになる薬品をな。やつはわしが何もできんとたかをくくっておったかもしれんが、わしでもすきを見て毒殺するくらいはできる。わしは忙しいんじゃ。徳江君を救わねばならん。津辻のようなやつの手の届かん所へ。苦痛はない。一瞬じゃよ」
 教授は恐ろしい顔で月見里のほうを見た。右手には銀色に光る針が握られている。
「徳江君を救うまでの間、邪魔しないでくれればそれでいいんじゃ。もし邪魔するというのなら……」
「見過ごせると思いますか。あなたのやっていることは殺人だ」
 矢黒教授の右手が空を切る。
「なっ」
 のばされた腕が月見里に届くことはなかった。月見里の手が腕に食い込み、針が地面に落ちる。
「あなたに学生の未来を奪う権利はない」
 矢黒教授はもうどこも見てはいなかった。


Fin


※文字色で解ると思いますが遊人(あそーど)さんが書いた文です。
(NEXT 『消えた薬品事件』の後書きです……)