『坂井凛子の平凡な日常』 Ⅶ

「多分、この事件の犯人が分かりました」
「えっ!」
私が言うと、私の予想通り、みなさん驚いた……のですが。一人だけ、意味深な微笑みを湛えている人がいました。佐野さんです。この微笑み、どこかで同じものを見た気がするのですが……。
考えているうちに、ふと浮かんだのは優華さんでした。あの意味深な微笑みと同じ何かを感じます。なんなんでしょうか。
「で、犯人は誰なの? やっぱり松岡か〜い?」
前島さん、語尾が変ですって。まぁ、いつものことと言えばいつものことですが。
とりあえず、事件を解決させることにしましょう。
「今回の事件で、犯人と言える人物はズバリ、高井さんです」
私がそういうと、
「嘘だっ!」
いや、落ち着きましょうね、外村さん。
「そもそも、1つだけ、ものすごく妙な点があります。もし、仮に松岡が今回の殺人を実行できたとしましょう」
そう言いつつ、どうしても佐野さんの顔が気になってしまいます。
「だとすると……何?」
この反応では……普通の聞き役に徹しているみたいですね。まぁ、もしかしたらその振りなのかもしれませんが。
「だとしても、です。被害者は自分が殺されるなんて分からないはずなんです。恨まれていることに心当たりがあれば別ですが。恨みはあっても、恨まれる筋合いはないんでしょう?」
「ええ、それは確かにそうよ」
ここは佐野さんに確認を取っておかないといけないところです。
「では、どうやって、ナイフで心臓を一突きにされた人間が、ダイイングメッセージを残せたのでしょう? 彼がいくら強靭な肉体と精神力の持ち主だったとしても――60歳の人間でそんなものを持っているとは思えませんが――心臓を一突きにされた状態でダイイングメッセージを残すというのは、やはり無理があるでしょう。普通なら即死でしょうし。何より、もし息があっても、大量の血が吹き出るはずです。普通、その血で書いた方が、消されることもないですし、早いですよね」
これくらいの事、普通に気が付くと思うんですけどね、警察の人が。
「じゃあ、あのダイイングメッセージは何? 誰が書いた――あ、もしかして」
椿さんがここまで来ないと気が付かないのは予想外ですが。
「今回の事件は、高井さんの、命と引き換えに行われた復讐でした。多分、最初は単純に襲い掛かったのでしょう。でも、失敗したのです」
多分、2本のナイフ+拳銃を持ち歩いていたのも用心のためでしょう。
「つまり、高井さんの傷は、一旦襲って返り討ちにあった時のものなのかな〜?」
「ええ、前島さんの言うとおりです。高井さんとしては、なんとしても松岡を破滅に追いやりたかった。しかし、殺すには相手が強すぎました」
皆さん、静かに私の推理に聞き入っています。聞こえるのは、列車が線路を走るガタンゴトンという音だけです。
「そこで考えたのが、彼を殺人犯に仕立て上げることでした。彼は恐らく、自分が殺されれば詐欺事件も明るみになり、松岡に相当なダメージを与えられるだろうと考えたのでしょう」
なにより、いかにもダイイングメッセージっぽい紙を置いておくほど松岡も馬鹿ではないでしょうし。
「指紋を残さなかったのも、犯人が拭き取ったと思わせるためでしょう。多分、実際に拭き取っているでしょう。暗号があんなに簡単だったのも、やったら見つかりやすかったのもそのためです」
「私の推理は以上です。佐野さん、どう思いますか?」
「こんな事に気が付かなかったのは完全なウチの失態ね。じゃあ、自殺だったって報告しておくわね」
そう言って佐野さんがウインクしました。うう、今のなかなか決まってますね。その行動の意味はよくわかりませんが。
はてさて、推理が終わったときには、丁度ガタンゴトンという音の間隔が大きくなってきました。
「次は士別、士別。お出口は――」
「じゃあ、私は名寄に戻りますね」
佐野さんがそう言ったとき、ちょうどドアが開いた。
あっ、まだあなたにはお伝えしたいことがあるのですが……。
「すご〜い、凛子さん。またまた事件解決だよ!」
いや、その、なんというかですね……。
「まぁ、これで今度こそ事件解決だし、動物園にレッツ・ゴー!」
外村さん、ちょっと静かに――って、佐野さん! だからあなたには話が……。
私が追いかけようとしたときには、もう電車のドアが閉まっていました。見ると、佐野さんは女神のような、それでいて何か含みのある微笑を浮かべて手を振っています。
うう、今度会うときには絶対に追求しますからね、その意味を。

こうして、私達の乗る列車は旭川に向かっていったのでした。


「彼女、さすが優華さんが目をつけるだけのことはあるわね。いい勘してるわ」
所変わって快速なよろ1号の車内。一人の女がつぶやいていた。
「本日は名寄行き、快速なよろ号にご乗車いただきましてありがとうございます」
車内アナウンスを聞きつつ、彼女はなお、独り言つ。
「あの調子じゃ、今回の一連の事件の関係もお見通しね」
彼女は思い出したかのように携帯を取り出してかけ始めた。
「もしもし、優華さん? 私だけど」
――その様子だと、あっさり見抜いてくれたようですね。
「ええ、答えにたどり着く上で最低限の事しか教えていないのに、あっさり分かったみたい」
――さすがね。私が見込んだだけの事はあるわ。
「彼女の事、どう思う?」
――ひらめき、証拠が全てそろうまで動かない冷静さ、松岡を殴った時の大胆さ、今回の件に気づくだけの洞察力。将来が楽しみだと思うよ。
「そうですか。私にはむしろ、恐怖ですかね」
――?
「彼女がそれなりの地位と権力を手に入れれば、我々にとって強固な壁となるかもしれません」
――確かにウチの家は結構、法律すれすれの事を無理矢理認めさせているからね。彼女が首長にでもなれば、大変だろうとは思うよ。
「しかし、あの松岡とか言う男の本当のターゲットって誰なんだろうね? やっぱりアノ人かな?」
――さあね。でも少なくとも言えることは、あの家の誰かってことでしょうね。
「そりゃまぁ、そうね。彼女もそこまでは気づいているみたいだし」
――そりゃ、真相はあの男以外知らないことだからね。
「しばらく触ってなかったみたいだけど、弓の腕も落ちてないみたいね」
――あの程度の距離なら少々腕がなまっていても当たるわよ。
「さすがは、芳野家が誇る最高のスナイパーだけあるわね。じゃあ、切るわよ」
そういって彼女は携帯を切り、名寄の駅に降りたった。


はあ、……逃げられてしまいました。
佐野さんったら、まったくせっかちな方です。
佐野さんにお伝えすべき事、それは松岡のもう1つの罪。あるいは、今回の事件の全容といってもいいかもしれない事。
今回の事件、発端は恐らく1つの詐欺事件。犯人は松岡で、被害者は高井さん。
騙されて、破産寸前に陥った高井さんは復讐を計画。一度は、襲い掛かってみたものの返り討ちに遭い、仕方なく方法を変えました。
それが、松岡を殺人犯に仕立て上げる事。それも自らの命と引き換えに。
まずまずの計画でした。指紋を消しておいたのは冷静な判断でしたし。
ただ、松岡が殺す動機がなかった事とほぼ即死だったことが僅かな、でも見逃せない大きな瑕でした。
幾つか瑕があったものの、とりあえず計画は続けられました。
しかし、高井さんにとっては、松岡が単に警察に捕まるだけでは満足できなかった。中山さんが松岡を脅して金を巻き上げる。その後、警察に情報をリークして松岡を逮捕させる。そんなシナリオだったのかも知れません。
でも、実際にはそうはならず、中山さんも殺されてしまいました。
ただ、これが計画の本線だった可能性も大いにあるでしょう。これだけの計画を立てた段階で、松岡に脅しをかければ殺される可能性が高い事は明らかです。それを承知で中山さんは脅した。考えられる筋書きです。
中山さんは芳野さんの別荘に赴き、恐らく「今回の事件で話がある」とでも言って家に入り、一通り脅したあと、殺された。
多分、このときに使ったトリックは、芳野家の誰かを殺害するために前もって準備していたのでしょう。もっとも、優華さんにはバレバレだったと思いますが。
松岡としては、同じトリックを二度も使うわけにはいかなかった。そこで、土砂崩れと称して椿さんを人質にとって、全員殺すか、芳野さんだけを生かして人質にするつもりだったんでしょう。
そこまでして何がしたかったのかは疑問ですが、これは優華さんがご存知でしょう。
高井さんの復讐は一定、成功したといっていいでしょう。人を一人殺した上に、詐欺事件も明るみに出ました。恐らく高井さんは満足していませんが。
それにしても、高井さんと中山さんはどういう関係なのでしょう。もしかしたら、無関係の2人で偶々協力するような形になってしまったのかもしれません。
でも、もしかするとあの2人はすごく絆の強い関係――例えば、親子とか――だったのかも知れません。
どちらが正しいのか、警察の人が調べてくれればすぐに分かる話なんでしょうけど。


それと、もう1つ。佐野さんはいったい何者なのでしょうか。
様子を見ている限り、事件の真相は分かっていたと思うのですが。
或いは芳野家というのはいったいどんな組織なんでしょう。
優華さんや、佐野さんのような優秀な人間をたくさん有する家。
ただの家ではない気がします。もしかしたら裏の世界で政界の大物に太いパイプを持つ家で……。
さすがにこれは考えすぎでしょうか。
あるいは、警察の捜査一課の捜査員も自殺だと分かっていた筈です。
分かっていたからこそ、佐野さんの適当な行動を容認したのかもしれません。
まさか、佐野さんが緘口令を敷いたなんて考えすぎですよね。明らかに職権乱用だし。
あの方々とはきっとまた、いつかまた、会う事になるのでしょう。
その時は、血生臭いことなんてなく、平和に過ごせればいいと思います。
恐らく、崖下を確認する事もなくチロルチョコを用意してくださったであろう優華さんに、お返しのチロルチョコを持っていくことを忘れずに、ね。


「本日はJR北海道をご利用いただき、誠にありがとうございました。次は、終点、旭川旭川。お忘れ物等なさいませんよう……」
少し物思いに耽りすぎたようです。気が付いたら旭川についていたようです。
「凛子さん、降りるよ」
と外村さん。
「あ、ちょっと待ってください、置いていかないでくだ」
バタッ!
うう〜、またこけました。っていうか皆さん笑わないで下さいよ。
「まったく、相変わらずね。立てる?」
椿さんはそう言って、手を貸して下さいました。
「凛子さん、動物園に何か名物ってあるの?」
……名物ですか?
え〜っと、確かホッキョクグマがいた気がしますね。後は……。

これから出会う事になるであろう、動物を思い浮かべつつ、私達は動物園に向かったのでした。



おわり